ブログを始める

久しぶりにブログを始めたわけだが、別に何かを成し得たいという野望があるわけではなく、日々の悶々とした気持ちを吐き出すところが欲しかったのだ。

それなら、一人自分だけのノートに書けばいいじゃんって思われるかもしれないが、あえてこのブログでつぶやくのは、自分の完璧主義を打破するためでもある。

きっかけは何気ない父の言葉。

食後のアイスクリームをみんなで食べている時、何がきっかけか忘れたが、父が一言。

「あなたはホームランを打とうとするから疲れるんだよ、ヒットを重ねればいいんだよ」と。

クッキーアンドクリームに入っているクッキーを歯で砕くのに一生懸命で、その時はあまり気に留めていなかったが、その後お風呂に入っているときにふとその言葉を思い出した。

確かに私は何をするにも、自分の中の最高点を出したくなってしまう。

文章を書くのもそう。考えていることはあるけど、それは取るに足りないことだと、形にしても大したことがないと、最近は書くこともやめてしまっていた。

それは私が私のことを大切にできていないのではないかと。

自分の納得できていないものでも、一度世に放ってみる。まあ一家の心を持つ。

自分を少し自由にするためにこのブログを始めてみる。

そのため、私の中で完成ではない文章を載せていこうと思う。

都会に揺れる小さな海

釣り堀の中が揺れていた。
気温37度
夜なんてお構いなしに煌々と光る車内には、疲れ切ったサラリーマンがひしめき合っている。

立っている人も座っている人も皆一様に携帯をいじり、自分の駅が来るのをただただ待っている。
当たり前のいつもの光景。

節電中なのか、車内のくせに蒸し暑く、会社では頑張って保っていた前髪もうざったくなって、額の汗を糊代わりにして、適当に顔に貼り付ける。
幾分か、視界良好。

携帯に視線を戻す。

携帯を見たいから見ている、というよりか、仕事のことを考えたくないから見ていると言った方が正しい。

脳みその隙間を、目の前のくだらない動画で埋める。

駅に着く頃には雨が止むかな、そんなことを考えてふと顔を上げる。

窓の外
目に飛び込む水面。
雨がうちつけ、幾つもの細かい波紋が広がっていた。


市ヶ谷の釣り堀は、私の中で馴染み深い。
幼い頃から、市ヶ谷の方まで行くときには決まって、電車から見るお気に入りの景色だった。

春になると新歓の大学生たちで賑わい、

それ以外の季節は暇を持て余したおじさんがちらほらと、新聞を読みながら釣りをするでもなく座っている。

どちらにしても明るくのんびりとした昼間の印象しかなかった。


そんな釣り堀も、最近は携帯に夢中で、そこにあることすら忘れていた。

それが今、目の前で、海のようにくろぐろと広がっている。

月明かりを受け、ゆらゆら怪しく光っている
急に現れたその釣り堀が、わたしには一瞬巨大な海に見えた。

ある出版社の編集長と会食をした時、人間のストレスの源は、理想との乖離だと言う話を聞いた。

自分の求めているものが実現できていない時に、人はストレスを感じる。ストレスはじわじわと体を蝕み、ふとした瞬間に涙になって溢れ出たりもする。

この目の前に広がる海(釣り堀)を見て、なんだか不思議と泣きたい気持ちになった。

私はストレスを感じていて、今目の前の景色を見て涙が出そうになっている。これはどういった現象か。

寂しさと、懐かしさの入り混じった気持ち。
おそらく、自然のようにありのままのわたしを受け止め、受け入れてくれる。いま、そんな生活を欲している。自由を欲している。

毎日頑張らなければいけなくて、苦しい
成長は嬉しいけど、こんなに大変な思いをしてまで成長したいのだろうか。もっと自分らしく生きれる道はないのか。

わたしの心は、いま、苦しんでいる。

新卒一年目の夏。
あの釣り堀の中の海が、しばらく、わたしの頭から離れない。