大学生の頃、私はプールの監視員のバイトをしていた。
このバイトの主な業務といえば、梯子つきの椅子の上から、溺れている人がいないか監視することである。
私のバイト先は自由な方針だったため、その椅子に座っている間はプールの館内スピーカーから自分の好きなプレイリストを流すことが許される。
館内に流れるラットヴィンプスの曲を浴びながら、まるで小さなフロアのDJのような気分になって、泳いでいる人を眺めている。
そんな仕事。
このプールは小さな市民会館の屋上にあって、昼は天井のガラス戸からたっぷりと太陽の光がさす。
暑いけれど、光がチラチラと揺れて、水面が輝く様がとても気持ちがいい。
反対に、夜になると、とても暗くなる。この館自体が古く、備え付けの電気の光がいつまで経っても取り替えられないからである。
その薄いオレンジの電気の光が、暗いプールの中、つきの明かりのように水面にゆらめく。
夜の海のようで私はいつもぼうっとしてしまう。決して眠たくなっているわけではないぞ、見惚れているのだ。
夜のプールに来る人たちはひきこもごもである。仕事終わりの人、学生さん、障がいを持った方や、松葉杖の方まで。
その人たちはいつも人目をはばかり受付を済ませ、ひっそりと着替え、プールサイドにやってくる。社会に生きる彼らの、いっときの自由時間なのかもしれない。
実は、プールでは、不思議なことが起こる。
私はその瞬間に居合わせるために、この仕事を続けている。
それは、人が水に入る時に起こる。
松葉杖の人が、車椅子でプールに入室してきた。
そこから松葉杖で、プールサイドまで近づき、監視員の腕を借りながら、ゆっくりゆっくりと、入水する。
と途端に、その人が消えた。いや、消えたのではない、すごいスピードで泳ぎ始めたのだ。まるで、ヒレを持った魚みたいに。
自由に、美しく、開放的に。
水上に美しいアーチを描いて繰り出される腕、その指先から放たれる虹色のしぶき。
日常の全てを凌駕して、彼女は魚になっていた。
体の節々が痛むと会話していたおばあちゃんも、仕事終わりの疲れた顔をしたサラリーマンも、
皆 一様に、プールに入った瞬間、人から魚に姿を変える。
虹色の光を放って、しぶきをあげて、どこまでも自由に、速く、しなやかに、生命を輝かせ水の中を進んでいく。
水の中では皆ひとしいのだ。
私はその瞬間を、なるべく幸福な瞬間にするために、一日かけてその日館内に流すミュージックを考える。

コメント